週刊現代で上岡龍太郎をテーマにした4ページの特集が組まれていました。

見出しは
「上岡龍太郎の見事な生き方に学ぶ」
人気絶頂の58歳で芸能界を引退し、
20年一度も復活することなく老活を続ける上岡。
記事によると、引退後は奥さんと一緒に演芸や舞台を見に行ったり
神社仏閣に関心を持ち、全国に旅行をしているという。

引退後芸能活動はしていないが、もともと付き合いのある人の場には度々参加している。
引退後、稀に知人の芸能人のパーティーやゴルフ大会、冠婚葬祭などに顔を出すことはあり、その様子が何らかの形で紹介されることもあるが、基本的には露出はしていない。親交のあるオール巨人のブログには、オール巨人と一緒に撮影した写真がブログに掲載されており、上岡の近況が確認できる情報源となっている。また、オール巨人とともに参加したゴルフ大会では優勝も果たしている。やしきたかじんとゴルフに行っていることも、たかじんが自身の番組などで明かしていた。
全国区で活躍したタレントであるが、名場面集などで過去の出演映像が使用されることは少ない。二次利用された例として、『ラブアタック!』の映像(ABC60周年記念番組)や『EXテレビ』(オール巨人の公開弟子審査の回)に出演した映像が放送されたことがある。また、甥にあたるミキのブレイク後は、トーク番組で上岡の名前が出てくることがある。
2007年6月7日に催された『横山ノックを天国へ送る会』ではかつての芸名“横山パンチ”名義で登場し、ノックへのメッセージを語った[7]。
2007年6月17日に行われた桂雀々芸能生活30周年記念『雀々十八番』(会場:シアターBRAVA!)最終日のパネルトークにサプライズゲストとして出演した。
2007年7月7日京都南座での桂ざこばの会に特別サプライズゲストとして出演。
2008年11月11日、大阪・中之島のリーガロイヤルホテルで行われた桂雀々の小説出版記念パーティーに出席し、久々に公の場に登場した。
2011年12月21日、現役時代から長年の親交があった立川談志(11月21日死去)のお別れの会に参列し、久々にマスコミのインタビューに応じて故人との想い出を語った[8]。
2015年、桂米朝の葬儀に参列した際にマスコミ取材に対応し、「(一般聴衆として、米朝さんの高座を)客席からよう見せてもらっとった」「米朝の名は永久欠番でしょうね」などと故人を偲ぶコメントを残している[9]。
Wikipedia
上岡が引退したのは1999年。
本人曰く
「ボクの芸が通用するのは20世紀まで」
「落語や公団と違って、テレビの場合は年を取ったら老醜をさらすだけ」
と潔く芸事の世界を引退。
あれから20年。
テレビ界はコンプライアンズが厳しくなり、
娯楽メディアではインターネットが台頭。
残っていても一線にいただろうなと思う反面、
こうなることを20世紀ラストに感じたからマイクを置いたのかもしれない。
YOUTUBEなどでは上岡の過去の映像を見ることができる。
あらためて上岡の凄さを感じるとともに、
今のテレビではこの芸風は求められないのかなとも感じる。
誰かが「上岡さんが復帰するならテレビよりラジオで」
と書いている文を見たが、
たしかにラジオの世界ならまだまだ十分通じるし、求める人も多いと思う。
「ボケ防止で始めました」
の照れ隠しの言葉を言ってラジオだけ復帰とかやらないかな?
今ならラジコがあるから、全国どこにいても聞くことができるし。